ラレトラ

可賀レトラの日記と小説置き場
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『この腕いっぱいの幸福(しあわせ)を』 2

 その店の前で、樹は珍しく躊躇していた。元来、物事にあまり悩まないたちだ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。やると決めたらやる、やらないと決めたら忘れる。
 何をそんなに悩んでいるかというと、その店に入るか否かだった。ガラス越しの店内には女性店員、数人の客。そして、一番奥の方ではあったが、先日酒を酌み交わした男の姿がたしかにちらちらと見えた。
 もらいすぎた代金を返さなければならない、という名目で、樹はここに立っていた。
「良かったら来てください、ってたしか言ってたし。大丈夫だよな……」
 仕事の話が出たときだった。千鶴は、自分の働くセレクトショップの名前とだいたいの場所を口にした。大学の近くで、樹の家から楽に行けるところだ。ひょっとしたら地方住まいで結婚式には泊まりがけで来ている可能性もあったから、また会いやすい距離で運がいいなと思った。
 調べたところそのエリア内に店舗はここ一軒しかなかったから、間違いないと思ったのだ。たしかに、彼の姿は店内にある。
 しかし、別れ際の反応を考えるに、思わず口を滑らせた、もしくは社交辞令だった可能性が否めない。……しかもかなりの確率で、両方。
「ま、二度と会えないか、今日嫌われて終わるかの違いだろ」
 ポジティブともネガティブとも取れない理屈を自分に言い聞かせて、樹はよし、と気合を入れた。
 自動ドアの前に立つと、ウィン、という小気味よい音がした。……出だしは順調。
「いらっしゃいませ」
 控えめな女性の声で出迎えられた。
 まずは不審者と思われないよう、店内を見て回る。ジャケット、シャツ、パンツにバッグ類。季節柄、冬物が多い。マネキンの首に巻かれたマフラーが上品な鮮やかさでぱっと目をひく。
 自分が普段着ているものより、一段階良さそうな品々。兄の周はよくこういうものを着ている気がするな、と思う。
 樹は彼と違って、昔からお下がりばかり着ていたせいもあるのか、衣類に無頓着だ。兄に服なんてもらいたくもないとなってから自分で買うようになったが、いつでも面倒くさいのほうが勝る。ただ、千鶴の仕事場だ、と思うと興味がわいた。
 目当ての人はワンブロック向こうの通路にいた。腰をかがませ、シャツを畳み直している。
 先日の千鶴の態度を、樹は不自然だと感じていた。たしかに「この場限りにしましょう」と言ったのは自分のほうだが、それにしても、ずいぶん会話は弾んでいたと思うのだ。
 彼は、自身を物静かで喋るのも苦手だと語り、実際言葉の端々に次の言葉を選ぶような間とか、ほんの少しの沈黙だとか、そういったものが多かった。それでも樹が「彼の話が聞きたい」と思っていたこともあってか、普段おしゃべりな樹よりも千鶴の話す分量のほうが多かった。けして楽しい話ではなかっただろうが、それでも懐かしい思い出などを話すときは、彼もずいぶん楽しそうに見えたのだ。
 正直、あれっきりで終わりにされるとは思わなかった。「よかったら」など言われて、連絡先くらい交換できるものだと。樹から申し出る暇など全くなかったが。
 どんなに美羽子への思いが純粋だったとして、千鶴の恋はもう、どうしようもないのだ。十年があっという間だったのなら、未来は? これから先は?
 いずれは彼にも転機が訪れるのだろう。そうでなければ救われないし、何より、もったいない。
 それならばあの日樹と語ったこと、あるいは樹自身が、そのきっかけになれれば……なんてことまで思ってしまっていたくらいなのに。
「店長、こちらってサイズ違いありましたっけ」
 若い女性店員が薄手のニットを持って千鶴に話しかけた。彼が店長なのだと知る。
「いくつ?」
「38です」
「うちにはないな……他店の在庫をチェックして、取り寄せできるか尋ねてみてください」
 見上げるようにして話す、柔らかな横顔が見えた。
「わかりました」
 奥へ向かう店員と入れ替わるようにして、樹は近づいた。
「由井さん」

 柔らかいまま手元に落とされていた視線が振り返り……とたんに険を帯びた。
「樹さん?」
 彼はぱっとその場で立ち上がる。けわしい表情が解けない。諸手をあげて歓迎されるとはもちろん思っていなかったが、樹は多少怯んだ。
「お久しぶりです」
「偶然いらっしゃった、わけではないですよね」
 千鶴は畳んだシャツを棚に載せると、誰にも見られていないことを確認するかのように辺りを見回し、また厳しい顔で樹のほうを向いた。
「先日、ここの店だと話してましたよ」
「でもあれきりにしてくれと……まあいい。何か、御用ですか」
 声にいばらのような棘がある。正直、こうまで硬い対応をされるとは予想していなかった。
 やってしまったか、と胸がびりっと痛くなる。しかし「やっぱいいです」と立ち去るのも、なにか違う気がする。
「あの、こないだ頂きすぎた」
「ああ、ハンカチですか。それならすぐ、返しますから」
「え?」
 最後まで言う前に、遮られてしまった。しかも間違っている。
 千鶴はまた有無も言わさず奥へ引っ込むと、あっという間にそれを持って現れた。
 むき出しではない。きちんと、きれいな袋に包まれている。
「ありがとうございました。では、これで」
「あのですね、由井さん」
 さすがに今度は噛みついた。
「はい……何でしょうか」
「ハンカチはどうでも良かったんです。俺が言いかけたのは、由井さんこの間、お釣り受け取らずに帰っちゃったでしょう。だから返しにきました……というか、それもあるけど、そもそもあの帰り方は、なしでしょ」
 千鶴は気まずそうに、頬を少しゆがめた。幸い見える範囲に他の客はいないようだ。店員たちもみなそれぞれの仕事に忙しそうで、こちらを不審がる様子はない。
「じゃあ謝ります。すみませんでした」
「って、そういうことでもなくて! じゃあ、正直な気持ち、いいます。俺はあの日、偶然だったけど由井さんと話ができて、とても楽しかったんです。だから、また会えたり話ができたらいいなーとか最後のほうは思ってて。なのに、あんな感じでとつぜん帰っちゃったから。俺……何か、やらかしましたか?」
 樹の言葉を聞くと、驚いたようだった。ようやく強張った表情が少しだけ緩む。それでも、最後の一線は崩せない。硬めの声のままで千鶴は言った。
「いえ、樹さんは何も悪いことはしていません。先日は……僕も、楽しかったんです。久しぶりに」
 千鶴はうつむいていた。
 この人はまだ何か隠している。この間割ったように見えた殻は、ほんの表層だったのだ。譲れない、あるいは話せない何かを、隠し持っている。
 しかし、全く隙がないわけでもないらしい。先日楽しかったという言葉。それに、返されたハンカチ。
 もう会わないはずの相手に返すものを、あんな風に持ち歩くだろうか?……しかもすぐ渡せるように、きちんと包んで。
 樹が言葉を探していると、千鶴が言った。
「僕が大人げなかったですね……すみませんでした。あの、お客様が来てしまうと困るので」
 帰れ、か。
 やっぱりだめだったのか……
「また、どこかお店でお話できませんか。今日は終わりが遅いので無理ですが、明日なら仕事が休みです。明日ご都合悪ければ、明後日以降のスケジュールを確認してきます」
「え?」
 今度は樹が驚いた。そんなに積極的な提案をされるとは、思っていなかった。
「気が進まなければ結構です」
 踵を返そうとするので、慌てて止める。
「や、ちょっと待って。そういう『え?』じゃないです。明日夜なら大丈夫です、ぜひお願いします」
 千鶴はほっとした顔をした。
「じゃあ、連絡先を教えてください」
「え」
 不覚にも、またびっくりしてしまった。
「お店を決めて、明日の午前中までにご連絡します」
「わかりました。ラインでいいですか?」
 よく使っているアプリの名前を出す。
「スマートフォンは持っていません」
「じゃあ、番号伝えます。ワン切りしてくれたら、ショートメールでアドレス入れます」
「はい」
 樹が唱えた九桁の番号を、千鶴は胸元のボールペンでメモに書き付けていた。
 店を後にする。少し経ってからきちんと携帯電話はぶるりと震え、ただの番号の羅列が妙に胸に響いた。




「今日は大学は大丈夫だったのか」
「うん、ようやく課題提出できたから。一週間徹夜で死ぬかと思ったけど」
 千鶴が眉をひそめる。
「じゃあ疲れてるだろ。来週にしたほうが」
 よかったんじゃ、と続く前に返事をする。
「平気。さっきまで十五時間寝てた」
「そんなに眠れるのも心配になる」
 千鶴は眉をひそめながらも優しく笑った。それを見て、数ヶ月の間にずいぶん変わったな、と樹は思う。
 樹が職場に突撃した翌朝、ちゃんと千鶴からメッセージはあった。知らない店名と案内ページのURLが添えてある。樹の大学からも近い、多国籍料理の店だった。
 時間ぴったりに着くと、もう席で待つ姿があった。彼の様子は多少硬かったけれど、きつい口調でなじられたり、もちろん突然帰られてしまうようなこともなかった。
 千鶴は自身についてあまり話したがらず、逆に樹のことを色々質問してきたので、樹ばかりが喋った。
 大学では建築学部にいること。半期ごとの課題制作期間はとても忙しいこと。建築に憧れはあったがまさか合格するとは思わず掲示板の前で「まじで?」と声に出して驚いたこと。棒人間しか描けなかったのがデッサン漬けの毎日でずいぶん上達したこと。高校ではサッカーをやっていて今でもたまにフットサルチームに顔を出すこと。
「高校の部活で、なぜかスペイン合宿っていうのがあったんですよ」
「スペイン?」
 ちょうど出てきたスペイン風オムレツをナイフで切り分けながら、樹は話した。
「そう。たぶん、コーチのつてか何かで。別に特段強いチームってわけでもなかったんですけど」
 邪道かも、と思いながらトマトケチャップをもりもり絞る。
「そのときにバルセロナでガウディを初めて見たんですよ。おもしれーなーって思って。で建築学部いいなあってなった。ヨーロッパの街並みもかっこよかったし。単純なので」
「そうだったのか」
 気楽な話のつもりでいたら、気づけば真剣な瞳に見つめられていた。少し気恥ずかしくなった。
「スペインといえば……アムステルダムで乗り換えたことがある」
「行ったことあるんですね。直行便ないですもんね」
「びっくりした。顔が皆、高いんだ」
「高い?」
 少し違和感のある表現だ。
「オランダ人は平均身長が男性百八十以上、女性も百七十以上あるから」
「でかっ!」
 驚いて、少し笑った。樹も背が高いとよく言われるが、オランダに行ったらかろうじて標準体型、といったところか。
「オランダはマネキンも巨大なのか確かめたかったけど、乗り換え時間が短くてできなかった」
 心底残念そうに言うのが面白かった。マネキンが気になるなんて、ファッション業界の人だともしかしてそういうものなのだろうか。
 その日は、樹が全額払うつもりでいたのだが「あれはあれ、これはこれ」と頑なに断られてしまった。
「じゃあ、そこは折れますから、かわりにまた俺と会ってください」
「構わないけれど……」
 そんな調子で約束を取り付け、今日は四度目、いや五度目だったかもしれない。樹のほうが若干だが時間の融通がきくので、平日に月二度ほどある千鶴の休みに夜飲みに行くのが、暗黙の了解のようになった。
 出会うきっかけとなった、兄の周と義姉の美羽子の話は、二人の間ではなるべくしなかった。樹はそもそも話したくもなかった。家で母がたまに「周の帰りが遅いらしい」とか「美羽子の料理が上手くなった」とか話しているのは、ぼんやり聞き流していたが。
 千鶴は、初回の帰り際が嘘のように、柔らかく樹に接してくれるようになった。とはいえ、最初はお互い敬語で話していたのがくだけた口調に変わってみると、千鶴はかなり端的に話す人間だった。メールの返事も総じて短い。お世辞やオブラートに包んだ物言いはあまりしないし、時おり冷たく感じるほどだ。
 店を訪ねたときの態度についても、怒っていたのは本当だろうが、知り合って間もなかったせいで余計にとげとげしく感じられたのだろう、と思った。
 それはさておき、樹は、千鶴の顔も好きだった。
 思いをこらえた横顔も涙に濡れた頬もどちらもおそろしく美しかったけれど、それらがすっとほどけて、ふっと笑う顔のほうが何倍も良かった。向かい合って話をしているのならば、特に。
「眠りといえば、最近だんだん二度寝もできなくなってきたんだ」
「どういうこと」
 千鶴は難しい顔をした。
「朝目が覚めて、少し早いなと思っても、目が冴えてしまってもう眠れない。大学生時代はいくらだって寝られたのに」
「それよく母さんに言われるよ。よく何度でも寝直せるわね、若いわねって。由井さん、もう年だってこと?」
「君の兄と同い年なんだから、まだ十分若いだろ」
「それでも、由井さんが大学生のとき俺まだ中学だからね」
「そう言われると厳しいな」
 真面目な顔で言うのかと思ったら、そんなときに小さく笑うのだった。
 周と同い年なのに美羽子と同じクラスで出会ったということは、浪人でもしたのだろうかと思ったが、尋ねることはしなかった。その代わり、仕事のことについて色々話をした。
「服は、やっぱりきちんとしたものでないと駄目なんだ」
「きちんとって? 高い店で買うってこと?」
「高いものが良いとは限らない」
「まあそりゃそっか」
「もちろん、ある程度の品質は担保するよ。ちなみに『良いものは高い』になると確率は上がる」
 ファッションや服の話になると、とたんに表情が真剣な、真面目なものに一変するのだ。口調まで理屈っぽくなる。
 あまり接客には向かなさそうだ、と樹は勝手に思う。千鶴がにこやかに「お客様、お似合いですね」なんて微笑んでいる顔など全く想像ができない。
 もっとも、店長なのだから主業務は別のところにあるだろうし、無愛想な店員のほうがありがたいという人だって、少なからずいるのだろうが。
「由井さん、でも俺の服にダメ出しとかしないよな。いっつも超適当なの着てるのに」
 着てきた服を見下ろすが、どこで買ったのかゼロがいくつついたのか全く覚えていない。ついでに言うなら、なんとなく机の上に畳んであったのを着てきたが、洗濯済みかどうかも実はあやしい。
「人が着ているのは好きにすればいいと思ってる。でも、その人が服に興味があって、話を聞きたいっていうなら、言いたいことはたくさんある」
「例えば?」
 千鶴は一瞥した。……無遠慮な視線に、なぜかぞくりと心が泡立った。
「今日の君のシャツは袖の長さはいいけど肩幅が少しだぼついてる。もう少し狭いデザインのブランドのほうが合ってる。パンツは横着しないで裾上げを頼まないとだめだ。ベルトは茶系がいい。時計はもっと自己主張するデザインでもいい。靴紐は切れそうだから取り替えろ。というか、靴は洗え」
 表情一つ変えずに怒濤のように繰り出されて、樹はあっけに取られる。そして、笑いだしてしまった。
「なんだ、めっちゃダメ出しあるじゃん」
「駄目ってわけじゃない。単に、そのほうが僕の……」
「由井さんの、なに?」
 聞き返したタイミングで、テーブルの上に出していた樹の携帯電話が振動した。何の気なしに画面を眺め、慌てて隠すように手元に向ける。
「ごめん、電話だ」
「出てきたらいいよ」
 表示されていたのは、美羽子の名前だった。
 登録してあることすら、記憶になかった。



 

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